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【イベントレポ】『感性の飛び火』vol.1〈前編〉縄文のもつエネルギー

「人間らしく、おもしろく生きる」をテーマに、それぞれの分野で活躍する人のことばや価値観が、未来に向けた発見や気づきへの刺激になる…
そんなトークをお届けするBESSの新企画「
感性の飛び火」。

1月に、代官山のBESS MAGMAにて、初のトークイベントを実施しました!
第1回は、文筆家の譽田亜紀子さんと、縄文文化について語り合いました。

▼トークイベント動画(前編)はこちら

ゲスト:譽田亜紀子(こんだあきこ)さん
文筆家。岐阜県生まれ。奈良県橿原市の観音寺本馬土偶との出会いをきっかけに、各地の遺跡、博物館を訪ね歩き、研究を重ねている。著書に『はじめての土偶』『ときめく縄文図鑑』『かわいい古代』他多数

ここからは、譽田さんとのトークで特に共感したポイントを、テキストでもお届けします!

縄文の造形物がもつエネルギー

編集部:土偶や土器って、ゆるいものから技巧を凝らしたものまで多種多様です。何のために作られたのか、色々な説がありますが、何だか惹きつけられるものがあるなと。そのあたり、どう思われますか。

譽田さん:
実際に見ると、その力強さたるや、と思いますよね。
ものって作った人のエネルギーが移るじゃないですか。それが存在感として立ち上がってくると思うんですけど、そういう意味で縄文時代のものって非常に強い。
縄文人たちはただ作ってるつもりはないはずなんですよね。
全く何もないところから形を作り上げるというところに、彼らは何かいのちを作るようなイメージがあったんじゃないかなと思います。

出土場所から、当時の人の動きがわかるそう。
文化がどこまで共有されているか見えてくるのも面白いポイント。

譽田さん:元々歌にしても踊りにしても 、人間の根源的なところで何か見えないものに対して思いを伝える、捧げるために世界中で生まれたと言われています。
彼らにとっての造形物もそれと同じだったような気もするんですよね。
そういう意味で、やっぱりそこにエネルギーを感じるのはただ造形が豊かだって言うだけじゃない。
今、「土器が好きで真似して作ってみました」という方もたくさんいらっしゃるんですが、やっぱりそこに宿ってるものって全然違うんですよね。
見栄えが美しい、綺麗だけではないものがやっぱり土器や土偶にはある。
そう考えるとやはりその作り手の思いがどれだけエネルギーとして流れ込んでその形に閉じ込められてるか、というところが、どんなものでも惹きつけられるというところがあるのではないでしょうか。


後編へつづきます!

▼トークイベント後編記事はこちら

【今回の書き手】BESS note編集長 ウエダ
譽田さん、実は元々歴史や考古学に興味があったわけではなかったそう。
お仕事で奈良県を訪れた際に「観音寺本馬土偶」と出会い、
「こんなに情感豊かな面白いものたちを、日本列島に暮らす私たちが知らないままなのは損している!」と一念発起、現在のご活躍に至ります。
『人の心を揺さぶる何かがある、土偶をただただ信じて突き進んだ』とお話されていた譽田さん。「好き!」という気持ちの強さってすごい!と改めて実感した次第です。ぜひ動画もご覧ください。