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「程々の家」は、れっきとした商品名。「程々」を少しだけ紐解きます。

今回は、BESSの旗艦商品である「程々の家」を筆頭に、暮らしの価値観として大切にしてきた「程々」に込めた思いをご紹介します。

『この広告に載っている「程々の家」をください。』

これは、「程々の家」発売当初、広告が載った雑誌を握りしめて、LOGWAYにやってきた男性が開口一番に発した言葉です。
話を聞くと、「程々の家」というネーミングに心が揺さぶられたとか。
そこには、数行の文章と、外観写真が一点のみ。何千万円もの家に、「程々」という名前をつけるなんて、どんな商品、どんなブランドなのかと無性に心惹かれて、現物を見る前に欲しくなったと言います。嬉しい話です。
この家を「程々」と思うか否かは、人それぞれのようです。
なるほど、という人もいれば、立派な家じゃないか、という人もいます。

「程々の家」カタログの表紙を開いたページ

「程々」を辞書でひくと、【ちょうどいい加減】といった意味が書かれています。
BESS流の「程々」は、バランスよく真ん中あたりに収まっている事ではなく、両極をもっていること。やじろべえに喩えたりもします。
しなやかさと荒々しさ。女っぽさと男っぽさ。正直さといかがわしさ…。
どちらか一方ではなく、表があれば必ず裏もある。両面、両極あってはじめてひとつ。
どちらかに偏り過ぎることなく、両方をあわせもつ懐の深さこそ「程々」という考え方。
どのBESS商品にも含まれる価値観ですが、その中でも、ひと際色濃く入れ込み開発したのが「程々の家」という訳です。

造りすぎず、飾りすぎず。隙が生みだす心地よさ

便利すぎると堕落する。

BESSが「程々」を語るとき、よく挙げる例が、合理性と感性です。
文明の発展により、随分と便利な世の中になりましたよね。インターネットや家電、宅配便など、もはや合理性は生活に欠かせない。わたしも、いまさらこの便利さは手放せないひとりです。だとしても、便利すぎは人間をダメにするのでは…というのが上記のフレーズです。
人間が元来もっている五感や知恵を使わないのは勿体ない。
便利さ一辺倒に偏りすぎず、時には土いじりしてみたり、心静かに書をかいてみたり、焚火をしてみたり…。
合理性や打算から時にはなれて、感性・こころで感じてみる
人間らしさが発動して、‟ちょうどいい加減”になるのではないでしょうか。

曖昧さもよし、こころに余裕を。

あっちは駄目で、こっちはいい、という事ではなく、どっちもいいじゃないか。そんな、こころの余裕こそ大切であり、日本人が元来もっている曖昧さの美学にも通じるのかな、なんて思ったりします。そんな自然体な心持ちで日々を過ごしたいものです。
今回は、かしこまった話になりましたが、真面目な話も程々に。
「程々の家」のカタログには、「合理性と感性」とともに、「正直さといかがわしさ」も記載しています。正直は大事だけど、いかがわしさもまた人間である、と思えると、すこし気が楽になりますよね。

【今回の書き手】BESSの家 note編集部員 工藤
わたし自身は、程々の家ではなく、ワンダーデバイス住人です。
「造り過ぎず、飾りすぎず。」 程々の家でよく表現する言葉ですが、完璧な家や暮らしは窮屈なので、これは同感。同感どころか、我が家は、隙だらけです。

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